『がまんしないで』

 

彼女は、最後に確かにそう言った。

 

 

【スパイ大作戦】

 

 

「その髪、どうしたの」

 

キラは、しばらく呆然としていた。そしてやっと口にできたのが、これだった。

ラクスはいつもと変わらぬ笑顔でいる。

 

「スパイですもの。」

 

ラクスの髪はばっさりと、首もとまで切られていた。

 

『綺麗な長い髪。僕、ラクスのこの髪の色、大好き。』

少しウェーブがかって、ふわっとしていて、甘い香りも一緒につれてくる。

 

この髪も、ラクスも、ラクスを取り巻くもの、全部。

 

なのに、目の前にいる彼女はまるで別人のよう。

 

「けれど、」

 

ラクスは手に握りしめていたものをキラに差し出す。

 

「まだ、切っていませんの。」

 

ラクスが頭に手をやると、短い髪の下から桃色のウェーブがふわりと落ちてきた。

 

キラの手を握ったまま、ラクスは微笑む。

 

「キラに、切っていただこうと思いまして。」

 

キラは黙って手の中に収まったハサミを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しずつ、床が桃色に染まっていく。

 

「・・・出来たよ。」

 

キラに髪を切られている間、ラクスは何も言わず、ただ眼をつむっていた。

 

沈黙が、二人を包み込む。まるで世界に僕らだけになったよう。

 

いつか、そんなことを願った日があった。

 

違う。

 

いつも願っていた。

 

 

ラクスの瞳が、そっと開かれる。

 

「ありがとう、キラ。」

 

瞬間、ラクスの肩が少し上下した。

 

キラが、後ろからラクスを抱いて、顔をラクスの首もとにうずめている。

 

「行かないでよ・・・・」

 

嘆くようにつぶやかれたその言葉は、間違いなくラクスに向けられたもの。

 

「すぐ帰ってきますわ。キラは甘えんぼうですわね。」

 

これがラクスにとって精一杯だった。上手く笑えない。

 

 

そのままラクスは、何も言わず、ただ、肩で聞こえる静かな呼吸音に身を包んでいた。

 

 

 

 

 

ふたつの視線が絡まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、二人の唇が、そっと重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AAを出たラクス達が唯一困ったことは、プラントに行くためのシャトルがないということだった。

 

偽ラクスの慰問コンサートを利用し、変装して彼女らが乗る予定のシャトルで宇宙へ。と、提案をしたのはバルトフェルドさんだ。

 

計画通り上手くいきはしたものの、シャトルを奪われた方は黙って見ているはずはなかった。

 

当たり前だとでもいうように、ラクス達の乗ったシャトルを攻撃する。

 

―当たる、

 

誰もがそう思った瞬間、眼にも止まらぬ速さで空を駆けていく機体があった。

 

フリーダム―キラと、ジャスティス―カガリだった。

 

彼らは襲ってくる敵機を見事に交わし、敵の戦闘能力だけを奪って空に舞い上がる。

 

それは、二年前を知っていれば宇宙では知らない者はいなかった、伝説の機体。

 

二人はその腕を退化させることなく、二年前と変わらぬ動きで敵機を沈めていく。

 

 

 

―決めたことなのに。

 

キラはレーダーの照準を合わせながらつぶやいた。

 

 

―最後の、一機。

 

 

《・・・が、・・だの・・・なぜ・》

ノイズに混じって、敵の声がコックピットに響き渡る。

 

 

ラクスと偽るあの少女。

そして、デュランダル議長。

 

画面に映った彼らの姿がキラの脳裏をよぎる。

 

そして、鏡に映る、髪をばっさりと切った彼女。

 

 

 

「・・・どうして、」

どうして、ラクスだけ。

瞬間、キラはためらうことなくトリガーをひいた。

 

敵が墜ちたかどうか確認する間もなく、キラはラクスの乗るシャトルまで加速する。

 

カガリもそれに続いた。

 

 

 

 

「やっぱり心配だ、ラクス。僕も一緒に・・!」

《キラ・・・・》

 

一瞬。

一瞬だけど、ラクスの表情が陰るのをキラは見逃さなかった。

 

 

 

 

 

《キラ、あんまり我が儘言うんじゃない。》

 

カガリが通信してくる。

キラは首を振った。

 

「だって、もしものことがあったら、僕はっ」

《決めたことだろ。キラ。ラクスはバルトフェルド隊長がちゃんと守ってくれる。》

「だけど・・・」

《キラ!!》

 

キラはびくっと肩をすくめた。

ノイズに混じって、カガリのため息が聞こえてくる。

 

《キラ・・・私だって、不安なんだ。》

「え・・・?」

《世界がこんな情勢だってのに、私は自分の国すら守ることができず、何も出来ずに再びジャスティスに乗っている。》

「カガリ・・」

《不安なのは、お前だけじゃないんだ、分かってくれ、キラ。ラクスを想うのはよく分かるけど、お前とラクスは違うだろう?ラクスはラクスにしか出来ないことを、しなければならない。》

「そんなこと・・分かってる。」

《だったら・・・!》

 

 

 

 

 

「カガリさん。」

 

 

それまで黙っていたラクスが、静かに口を開いた。

 

《キラ、カガリさん、・・・後は頼みましたわ。AAを、みなさんをお願いしますね。》

《そうだぞ、キラ。俺が守るって言ってるんだから、信用しろ。》

 

そう言ってバルトフェルドさんは、片目をつぶってみせた。

 

 

 

キラは何も言わず、機体の速度を緩める。

 

 

 

ラクスを乗せたシャトルは、すぐに太陽に隠れて見えなくなった。