芽-ill
手を伸ばすと届きそうなくらい、綺麗な蒼。
From 楠木芽
sub
おはよう
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今日は学校来てくれる?
はぁ。
パチン。
慣れた動作ですばやく携帯を閉じる。
溜息を一つつき、雛野恭(ひなのきょう)は窓から映る雲を見上げた。
恭はいい加減うんざりしていた。
楠木芽(くすのきめい)―芽は、恭が以前付き合っていた女だ。
最近毎日のようにしてこんなメールを送ってくる。
恭は決して送り返さないのに。こうやって、毎日。
原因は恭の生活にあった。
数ヶ月前、芽と恭が別れてから、恭は学校へ行かなくなった。
もともと普段から学校にはあまり行かず、芽と付き合うようになってからは彼女の強い薦めで一緒に登校もしていたが、
別れた今となっては学校へ行く事にあまり必要性も感じず、むしろこのまま中退してもいいかな、と最近では思うようになった。
そんな時だ。芽からメールがくるようになったのは。
なんで今さら、と恭は思ったが、あまり深く考えない事にした。
最初の2,3日はそんな疑問とともにあえて返事は無視していたのだが、
何日何週間と続き、その疑問は小さな苛立ちとなって徐々に恭の心の隅に留まるようになった。
今さら返事は返せないし。かといって無用心に返事でもしたら、それこそ俺は何言うか分かんないし。
そのような堂々巡りの考えの中、毎朝毎日、携帯のディスプレイはメロディーとともにメールの受信を恭に知らせるのだった。
「行ってきま〜す…」
どうしよ、バレないかな。
家に誰もいないって分かっていても、ついつい忍び足になってしまう。
玄関のドアノブを掴んだところで、何気なく後ろを振り返った。
視線の先に、家族で写っている写真が目に入る。
両親を挟んで、皆でピースをしている写真。幸せそうなその笑顔。
学校をサボるのはいつ以来だろう。ひどく懐かしい気がする。
彼らに黙って行って、バレた時はどうしよう。
頭の中を色々な思いが駆け巡る。
だけど、行かなくちゃ。
もう後には引けない。
カチャ。
ドアを開けた途端に射すまばゆい光に目を細め、楠木芽は青空の下を駆けて行った。
From
楠木芽
sub
無題
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恭に会ぃたぃ
いつもの癖で携帯を閉じようとして、恭は手を止めた。
芽からの、小文字を使ったこうしたメールは久しぶりだった。
最近は事務的で、どこかよそよそしい感じだったが、普段付き合っていた当時の芽がメールしてきたような、そんな雰囲気が伝わってきた。
思わず返信しかけて恭ははっとする。
今さら、何なんだ。
恭が携帯を閉じようとしたその時、再びメールの受信を告げるランプがチカチカと点滅した。
From
楠木芽
sub
無題
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今、恭の家の前にいる
反射的に、カーテンで閉ざされた窓を見つめる。
ゆっくりと近付き、カーテンの隙間からそっと外を覗いた。
「…っ」
いた。
楠木芽が、恭の家の前で静かに立っていた。
♪〜
思いがけない着信に、芽はビクリと身体を強張らした。
恭…。
From 恭
sub
無題
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学校は?
クスッ
思わず笑みが零れる。
自分だって行ってないくせにね。
カーテンの向こう側に人影をみた。あれはきっと恭だ。
…よし。
ピーンポーン―‥…
心を決めてチャイムを鳴らす。
玄関の向こうで、階段を降りる足音が聞こえた。
カチャ…
「久しぶり。」
あぁ、声は震えてなかったかな。今のは、ちゃんとした『楠木芽』だったかな。
「うん」
数ヶ月ぶりに見る恭は、最後に会った時よりも少しだけ大人びてた。
目の前の彼女を、恭は驚いた顔で見つめる。
芽は、記憶で思い出す彼女よりかなり痩せていて、どこか悲しそうな表情をしていた。
顔色も、決していいといえるものではない。
恭はそんな芽を見て戸惑いよりむしろ純粋に心配になった。
「あがってけば。」
とりあえず、この状況を説明してもらわなければ。
だって、『芽』は―‥
思わず力の入った拳を、ぎゅっときつく握りしめた。
「あがってけば。」
一瞬、何を言われてるのか分からなかった。
聞き返しそうになるのをすんでのところで芽は抑える。
入っていいの?
だって、だって『私』は―‥
「入らないの?」
ぼぉっと突っ立ってると、恭が訝しげに顔を覗き込んできた。
ああ。
ああ、恭。
忘れかけていた愛おしさが、懐かしさを伴ってよみがえってきた。
恭の部屋は、あの頃より大分落ち着いて見えた。
良く言うと、整理整頓されている。
悪く言うと、どこか殺風景。
生活感をあまり感じなかった。
それは、やっぱり‥『芽』のせい?
芽がよく恭の部屋に入り浸っていた頃は、綺麗に片付けられていたはものの、あちこちに芽の痕跡があった。
化粧品から服まで、それはまるで同棲のまね事で。
朝起きて、一緒に登校して、一緒に帰って、同じベッドで眠りにつく。
それが今、なにもかも全てなくなっていて、あの頃の事は嘘のように、今となってはただ広い空間が目の前に広がっているだけ。
おもむろに恭はベッドにどかりと腰を降ろす。
所在無さげにしていると、恭は「あぁ、」と今気付いたかのように、芽の側にある椅子を指差した。
「座れば?」
「う、うん」
彼女から話してくれると思って待っていても一向に話し出す気配がない。
恭は心の中で小さく溜息をついた。
「「あ‥」」
声が重なる。
なんとなく気まずい沈黙が流れてしまった。
「恭…」
芽が呟く。
やめてくれ。
その顔で、その声で、俺の名前を呼ばないでほしい。
今までせき止めといた様々な感情が、波のように押し寄せてくる。
嫉妬、不安、悲しみ、愛しさ―‥…
芽。
今でもまだ、こんなに残っている。
芽。
だとしたら、この目の前にぽつんと座る、この少女はなんだ。
芽。
今、俺の名前を呼んだ、この『子』は…
「そっちから…ううん、まず名前から名乗れよ…お前は誰だ…?」
楠木芽は―死んでいる。3ヶ月前に。
・・・続・・・
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